Give a reasonではなくJust be conscious
2018-04-01
複業記事の反響コメントにGive a reasonへの言及があったけど、どちらかというと Just be conscious だと感じた。
なぜGive a reasonではなくJust be consciousなのか。
同じ人の作詞なので遠目に見ればよく似ているわけだがなぜか片方に違和感がある理由を言語化してみる。
(追記)と思ったがそもそも作詞は違った
Give a reason(G): 歌詞 作詞 有森 聡美
Just be conscious(J): 歌詞 作詞 MEGUMI
(G) きっとどこかに「答え」ある 生まれてきた答えが
人はみなそれを求め やるせないのがせない夢に向かうの
ここにまず違和感がある
「生まれてきた答え」が「どこか」にあってそれを求める、というコンセプトは、答えが自分ではないどこか遠くにあることを前提としている。ここがしっくりこない
答えは自分の外にはない
(J) 幸せの形それぞれ違うのよ、他人の言葉に惑わされない。
信じるものが私の現実、恩着せがましい偽善(あい)なんていらない
こっちがしっくりくる。その後に続く「せっかく今を生きているのだから好きなこと楽しいことしなくちゃ」に賛成で、この「好きなこと楽しいこと」が「どこか遠くにある答えを求めて夢に向かうこと」だと他人に決めて欲しくない
Give a reasonの側に、抑圧から抜け出したい気持ちや、未来の自分が「答え」を見つけられていない可能性に対する不安、焦燥感のようなものを感じる。
(G) もがくように抜け出すように この力を試してみたくて
(G) なにもしないままで悔んだりはしたくない
(G) 未来の自分へと Give a reason for life 届けたい
答えを見つけなきゃという焦燥感で走り続けるの、それも他人の価値観で動かされてる状態
抑圧から抜け出そうとしているそれ自体が既に抑圧の構図の中にある
抑圧から抜け出す方法が、Give a reasonの場合「走り続ける」なのに対してJust be consciousは「チャンスを感じる」 #運
(J)抑圧の中塞き止められて 人を責めても変わらない 運とチャンスと偶然とタイミング 心研ぎすまし感じる
「走り続けなければいけない」という観念は抑圧と焦燥感を生む
焦燥感に襲われて闇雲に走っていては心を研ぎ澄ます暇がない
「どこかにある答え」を探して走り回っても答えは見つからない、答えは自分の中にあるのだから
#メーテルリンクの青い鳥
自分の中にある本当の答え
静寂、静謐、幕間、立ち止まって内省する時間が必要
「⁠音楽とは、音と音の間の静寂のことである」 #音楽は音の間の静寂
2023/12/25追記
ところで「めちゃくちゃにがむしゃらに空っぽに歩いたその先に透明な道標浮かぶよ 君だけの心に」との整合性について考える
道標が見えてない状況ではどちらに進んだら良いかわからない
この時に立ち止まっていても何も変わらない
なので「空っぽに歩く」ことが必要になる
歩いた結果として道標が浮かぶ、これは「君だけの心に」浮かぶ
道標が外にあるのではない、自分の中にある
歩き回った上で静かに内省する時間は必要だと思う
焦燥感に追われて走り続けていては心の中の道標に気づけない
心研ぎ澄まし感じる
(J) 人は傷を知るたびに強く優しくなれる 涙の後の真実 かけがえない今を生きてる
明日の自分を好きになりたいから今日の自分をぎゅっと抱きしめる
自分が主役の人生(ドラマ)ぐらいは楽しまなくちゃもったいないわ
今日の自分を鞭で叩いて走らせるのはよくない
主人公がずっと走り続けるドラマなんてない
主人公が楽しんで演じるのが一番大事
ところでJust be consciousというタイトルは「意識する」「気づく」というところにフォーカスがある
気付きに関する歌詞はここ
(J) 同じ苦しみ繰り返してる 気づくまでずっとラビリンス
で、気づくことによってそれを抜け出す、ということ。では抜け出すために何をするのか。
(J) 抜け出すすべは必ずあると 耳を澄まして見つけ出す
「耳を澄ます」は「心研ぎすます」のリフレインだ
(J)抑圧の中塞き止められて 人を責めても変わらない 運とチャンスと偶然とタイミング 心研ぎすまし感じる
一番気付くべきところはここなのだ
心を研ぎ澄まし、チャンスを感じたらその後に何があるか
(J) つかめ両手に今その夢を 余計なプライド脱ぎ捨て
(J) 走れ後ろは振り向かないで 時はプロローグを刻む
プロローグは物語の導入部のことである。つまり、そこから「自分が主役の人生(ドラマ)」が盛り上がっていくわけだ。
チャンスを見つけた後に走る、最初から走るわけではない、チャンスを見つけるためにまず「耳をすます」