Give a reasonではなくJust be conscious
2018-04-01
なぜGive a reasonではなくJust be consciousなのか。
同じ人の作詞なので遠目に見ればよく似ているわけだがなぜか片方に違和感がある理由を言語化してみる。
(追記)と思ったがそもそも作詞は違った
人はみなそれを求め やるせないのがせない夢に向かうの
ここにまず違和感がある
「生まれてきた答え」が「どこか」にあってそれを求める、というコンセプトは、答えが自分ではないどこか遠くにあることを前提としている。ここがしっくりこない Give a reasonの側に、抑圧から抜け出したい気持ちや、未来の自分が「答え」を見つけられていない可能性に対する不安、焦燥感のようなものを感じる。 抑圧から抜け出そうとしているそれ自体が既に抑圧の構図の中にある 2023/12/25追記
道標が見えてない状況ではどちらに進んだら良いかわからない
この時に立ち止まっていても何も変わらない
なので「空っぽに歩く」ことが必要になる
歩いた結果として道標が浮かぶ、これは「君だけの心に」浮かぶ
道標が外にあるのではない、自分の中にある
歩き回った上で静かに内省する時間は必要だと思う
焦燥感に追われて走り続けていては心の中の道標に気づけない
今日の自分を鞭で叩いて走らせるのはよくない
主人公がずっと走り続けるドラマなんてない
主人公が楽しんで演じるのが一番大事
ところでJust be consciousというタイトルは「意識する」「気づく」というところにフォーカスがある 気付きに関する歌詞はここ
で、気づくことによってそれを抜け出す、ということ。では抜け出すために何をするのか。
(J)抑圧の中塞き止められて 人を責めても変わらない 運とチャンスと偶然とタイミング 心研ぎすまし感じる 一番気付くべきところはここなのだ
心を研ぎ澄まし、チャンスを感じたらその後に何があるか
チャンスを見つけた後に走る、最初から走るわけではない、チャンスを見つけるためにまず「耳をすます」